義務より権利?

最近、いろんなニュースや社会に対する論評に目を通していて感じるのは、いろんな人が義務より権利、社会性より個人の自由を尊重したいのだなぁということです。

ついさっき、テレビでニュースを見ていたら、神奈川県の公立学校教諭が君が代斉唱の際に起立しないことを教育委員会が調査しているといって、抗議し訴訟を起こしたといっていました。

君が代や日の丸に付いてはその是非に対して様々な議論があると思います。そのことに関しては特にこれに関してどちらが正しいということはあまり問題では有りません。

しかし、その教諭は個人の信条に忠実でありたいのならなぜ公立学校の教諭という職をえらび、ましてやその地位の保全のための訴訟まで起こすのでしょうか?職務として公教育に携わるということは、国民の意思の総意である国家の教育方針、すなわち将来の子供達に教えるべきと『政府』が判断したものを教育する仕事であると思います。独裁国家ならいざ知らず少なくとも民主主義に乗っ取った政治体制にある日本で、公職にある人間が一個人の信条に基づいて得手勝手に行動することはとても危険なことだと、同じニュース番組の自衛隊の懸賞論文のニュースに対して述べていました。

私は、個人である以上信条を表現する自由は有ると思いますが、それは公職である立場を使ってすることに問題が有ると思うのです。その教諭と異なる信条を持つ生徒が、一個人の判断による個人的信条によって、偏った思想を強制される危険性もあります。

この例に漏れず、独善と圧倒的な個人の権利の主張が優先されるのはとても嫌な世の中だなぁと思います。公務員として果たす義務はなんなのか、『私』の前に『公』を持ってきても悪くはないと思うのです。

免停がばれるのが嫌で、車で人を引きずっても平気でいられる犯罪者や、親に怒られたから誰か他人を殺して親を困らせたいと考える若者は、そんな、独善の先に有るのではないだろうかと。給食費を払わずに開き直るモンスターペアレントや、報道の自由をたてに犯罪被害者の人権を蹂躙するマスコミは、そんな、権利だけが無限大にある勝手な解釈の先にあるのではないだろうかと。

いま、多くの人のかけがえのない『安全』がそういうものたちに脅かされています。子供を理不尽な理由で決して失いたくないです。大切な人を他人のエゴでこの世から葬り去られたくないです。

少し飛躍してると思われるかもしれませんが、そう思います。

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