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4月, 2010の投稿を表示しています

ニュースを知り感じること

ここ数日、中国において邦人の死刑事件について報道が飛び交っている。

様々な論調が各社の記事において展開されているが、淡々と事実を報じているものもあれば、中国の行為に対して好意的または否定的なものもあるようです。

国際問題としてはどう考えればいいのか正解はわかりませんが、私が思うのはやはり麻薬を使って儲けようとする行為は、たとえ死刑にされても仕方ないくらいの罪ではないかと言うことです。

偽善弁護士の代表のような福島瑞穂社会党党首は「人を殺したのではないのだから死刑は重すぎる」といっていた。
そしてそのような人は、麻薬中毒者が殺人事件を犯しても、「心神喪失」の一言で無罪を主張してしまう。

いったい、理不尽に命を奪われることを無念さと、自己の欲望で麻薬によって富を得、使う危険を顧みず自己の欲望を満たす行為のどちらが大切にしなければならないと考えているのだろうか?

「犯罪者の人権」それだけを重んじ、世の悲劇をなくそうとしない愚かさは私には許せません。

いっそ、日本でも麻薬を金を儲けるために取り扱えば同じように死刑でもかまわないと思います。
「そんな悪いことじゃない」
本当にそうでしょうか?

飲酒運転も同じです。
これだけ、飲酒運転による悲劇が報道されていて、意図してそのような行為をするのであればやはり殺人罪なのではないでしょうか?
殺していなくても殺人未遂。
それでいいじゃないですか?

罪を犯すものの人権よりも、普通の人の安全を大事にしましょうよ。

もっというと「死刑では本当の解決にならない」という人がいます。
まず、社会の犯罪をなくしてからそれを語ってほしいのです。

誰もが殺した後に「心神喪失」を持ち出し、あまつさえ社会正義を守る弁護士が、知名度や報酬ほしさに犯罪者にその入れ知恵をするようなことがなくなってから、死刑以外の手段によって悲劇を撲滅して見せてから死刑をなくしてもおかしくはないと思うのです。

悲劇をみんなでもっと真剣に忌み嫌うべきだと思います。