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信じると言うこと

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  『信じる』 それは、容易いことではないですよね。ましてや、自分のコンディションや置かれている状況によっては「んな、あほな」で終わってしまうこともありますね。そこにはリスクも当然ながら伴うわけですから。 信じるに至れない自分の問題なのか、そうさせてくれない相手の問題なのか。ある意味、『賭け』なのではないかとも思ったりもします。 でも、私の場合は『先行投資』のような感覚が近いかもしれません。 自分が会社を立ち上げた時に、『信用』というものが如何に外形的に量られるかを知った時に、それでも信じて仕事を任せてくれた人がどれだけありがたかったことか。そして、その期待を裏切りたくない、信じてよかったと思ってもらいたい、と深く心に誓ったあの感覚は決して間違いではなかったと思います。 だから、まず信じてみよう、例えば、未熟な社員がいても私が信じることで、いつか花を咲かせることができるなら、そこから生まれる成長の輪を広げて、次の人に伝えていけると。 例えば、10のうちの1つしか期待できなくても自分が見えていないだけかもしれないから。 信用することのリスクよりも、信用しなかったことで触れられなかったモノへの後悔の方が嫌だから。 あ、ちなみにうちの社員はみんな優秀ですからね😁 信じた先のいろんな出会いを楽しみにしてるだけです。ビジネスのチャンスや発見、驚かせてくれる人との出会い、次世代の子どもたちへの想い、そして、まだ知らない自分の可能性にもね。

会社の経営

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 私は創業社長です。 つまり、経営はど素人の状態から会社を立ち上げ今まで続けてきました。 世の経営者に比べると、経営に関する知識もなく、元々エンジニアで営業に強いわけでもない。 そんな私がなぜ今まで会社を潰すことなく続けて来られたのかを考えることがたまにあります。(よく考えるではないんです。。。) じゃあ、やっぱり経営やマーケティングに関する知識なんぞいらないのか? もちろん、そんなことはありませんよね? 元々の私の強みは、 エンジニア、特に上流のスキルセットに恵まれていたこと。 理系ではなく文系、しかも教育志望だったこともあって、人間心理、行動心理、発達理論に深く興味があったこと。 法律や会計など、システム周辺の領域にも一定の経験から得た体系理解があったこと。 だったと思います。 マーケティングに関しては前職がそこに優れていた会社だったので、立ち返り、そしてイメージできる教科書を懐に忍ばせていたことが、いろんな場面で有利だったのは間違いありません。 これに関しては本当に前職の顧客・仲間・上司には感謝することしかりです。そういうことにしっかりとアンテナを張って、興味を持って話をすることができる環境というのは人を育てるのだと確信しています。 経営は、財務・人事・事業開発どれをとっても未だ発展途上と言ってもいいでしょう。 そんな私ですが、少しだけ経営者として胸を張れるスキルがあります。 その一つは、形ばかりの言葉ではなく、真っ正直に顧客に付加価値を与え、真正面から「ビジネスの成功」を考え、その実現のためにはなんでもやってやろうと思えるスキル。 もう一つは、成長したい、そのために勇気を持っていろんなことに挑んでみたいと考えてくれる社員を嘘偽りなく、愛して、導き、仲間としてリスペクトするマインドを持てるスキルです。 卑怯なことは嫌いだし、今自分を『無知の知』を以て見つめ続ける謙虚さは無くしてはいけない。だけれども、会社の経営を預かる者として会社の理念を、自分の理想を『絵に描いた餅』で終わらせたくない情熱は誰にも負けるとは思いません。 どこか、青臭く不器用かもしれませんが、私が経営というものをやる意味はそこにあるのだと思います。

やり遂げるということ

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いよいよ本格的に冬がやってきたようです。 冬といえば、クリスマス、そして大晦日からのハッピーニューイヤー。 そして、世の受験生はいよいよ受験本番を迎えます。 我々も長らく大学受験をサポートとするサイトを構築・運営してきたこともあって無関心ではいられません。 昔は、受験戦争と呼ばれ、とにかく悲惨の一言で語られた大学受験も、今の自分が振り返ってみると社会に出る一歩手前で、目標を立て、戦略を考え、戦術を実行し、成功を勝ち取るというプロセスを体験したことは本当に貴重な体験だったなぁと思います。 社会に出れば、学生時代のように誰も手取り足取り、物事を体系立って教えてくれたりはしません。就活・婚活しかり、目的を達成し幸せになるためには、上に述べた実践を主体的に行う必要があるのです。 しかしながら、多くの人、多くの場面において、何かをやり遂げられれずに失敗し挫折という結果に終わってしまいます。 プログラマを目指すと言って結局なれなかった人 No. 1のセールスになると言って、全く売上を作れなかった人 みんなに必要とされる人材になりたいといって、みんなの文句を言って辞めていく人 絶対痩せると言いながら、毎日の間食をやめられなかった人 何がいけなかったのでしょう? やり遂げること以外、罪悪だと言っているのではありません。でも自分が何かをやり遂げるための「勝ちパターン」が出来てない人は、やはり場所・場面を変えても同じことを繰り返すでしょう。そうならないためにも、失敗の分析は必要なのではないでしょうか? 実はほとんどの失敗の原因は、不真面目やサボり、能力不足ではありません。 多くの場合、本気で「やり遂げる、やり遂げられる」と思っていなかったのです。 出来たらいいな程度では、どんな素晴らしい戦略も戦術も計画も支援も全て意味がないのです。 だから、うまくいきそうにない時、結果が出ない時は、まず自分が本気でやり遂げられると自分を信じていたのかを振り返ってみてください。 本気で自分を信じることができたとしても、多くの人はその次の罠にハマります。 多くの人は、真面目で卑怯が嫌いで誠実です。 そういう人ほど、頑張ってしまうのです。頑張っても頑張っても結果が出ません。 でも、ちょっと待ってください。あなたは「何に」頑張っているのですか? 何かをやり遂げるために、必要な「何か」ですか? 努力しない人は、

交わるということ

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 今年は、セブンエージェント設立から15年。 本当はお世話になった方々をお呼びして、お礼も兼ねて細やかながらでも宴でもと思っていたのですが、こんな状況の中で行うこともできず。。。。 思えば色んな方の力添えがあって今があるのだと、その人たちの顔を思い浮かべては、本当に恵まれていたのだなぁと。 人と人は、お互いのタイミングで出会い、袖擦り合うも、の言葉の通りにそれまで思いもよらなかった縁に巡り会えることがあります。社員との関係も同じで、それまで全く違う境遇で働いていた人たちが出会い、交わり、新しいものにチャレンジする。 経営としてできることは、その場を活性化させ、事業を創り、喜びを作り出すこと。 そう想って、そうできることを願ってこれまで必死に走ってきたように思います。 その時その時出会った人たちにどれだけの価値を提供できたのかはわからないけど、コロナという災禍を曲がりなりにもくぐり抜けたであろう今になって、そんなに大きくは間違ってなかったのかなぁと想ったりもしています。 最近、新しいメンバーが2人も加わってくれました。 それはそれは、これからを期待させてくれるメンバーで、既存のメンバーもきっと刺激を受けているんだろうなぁと。でもやっぱり交わりの初めはお互い手探りで、緊張感もあったりするのかなぁと。 とにかく私が願うのは、とことん貪欲に成長してほしい。笑顔と共に勇気を出していろんなことにチャレンジして欲しい。失敗なんて成長の糧でしかないんだから。 走っている時、もがいている時は気づかないけど、振り返った時にそれまでの自分をどんな形であれ誇れるように。 そして、そんなみんなが集うにふさわしい器として、セブンエージェントをもっともっと充実させて、周囲の人たちが羨むくらいのものにしていかないとね。自分たちの未来を創り、どんな形であれ社会にインパクトを与え、報われ、喜べる器にね。 仕事の合間に、そんな事を考えておりました。

これからの10年

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今年も早いもので、街行く人の服装は冬の装いですね。 コート着てたり、ブーツ履いてたり。 秋も短くてあっという間なんやなぁと思ったりします。 今年の前半は、令和が始まったり、消費税増税の準備に追われたり なにかと気ぜわしい雰囲気だったように思います。 そして、来年は2020年。 21世紀も20年が過ぎ、来年からまた2020年代と言われる新しい10年のスタートです。 平成、そして2000年から2020年までの20年は私にとっても社会でいろんな経験をする 大切な時期だったと思います。 私たちの業界でも2000年問題に端を発したシステム刷新、そしてネットビジネスの創造と 常に新しいもの、次に来るものを探す流れが続いてきました。 さんざん言われてきたことですが、ネットビジネスは旧来のビジネスと社会構造を変革し ビジネスモデルだけにとどまらず、近年のワークライフバランスや働き方改革のような 企業と人との関わり合いの姿まで変えつつあります。 そして、次の10年。 どんな時代になるのでしょうね。 イノベーションのジレンマの言葉のように、ネットビジネスですら新興ではなく旧来からある ビジネスになりつつあります。 ビジネスの真髄は変わらず、トレンドは輪廻します。それは宗教における神様と人間のようで もありますね。 ネット一辺倒ではなく、ネットとリアルの融合、それは古くは「クリックアンドモルタル」と いわれ、最近では「オムニチャネル」と言われますが、いつの時代でも、どんなトレンドの中でも 購買行動において「人とのコミュニケーション」が果たす役割の大きさは変わりはしません。 人がマーケットに求めるものは「何か新しいもの」。 もちろんそれだけではありませんが、100均の便利グッズを見つけたり、「なにそれ!?」というテレビの情報番組で紹介された商品は相変わらずヒットを飛ばし続けます。 ただし、そこで勝ち残っていけるのは「ここ買えば大丈夫」という安心の担保です。 ここからの10年は、「安心と保証」がネットビジネスのキーワードになると言われています。 今はネットという購買チャネルによって、いろんな場所のいろんなものが手に入ります。 だからこそ、その数が増えれば増えるほど、その情報を整理できなくなってくるのです。

触れるということ

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今や「コンテンツの時代」と言われて久しい。 小売やサービス業はもとより、メーカーであれ、どんな業種であれば、自らの付加価値を「コンテンツ」として消費者、買い手に届けることができなければ存在し続けることはできないのは、自明の理です。 商品や企業の特徴、長所、具体的なイメージは、言葉や資料、画像や動画に変換され、相手のもとに届けられます。 それは、具体的なサービスのものにとどまらず、企業の社会に対する姿勢、働く人たちの顔に診て取れるその組織の未来ですらあったりします。 それらを、伝えたい相手に合わせて、こちらからそっと「触れ」にいくような、 そう、まさに大切な子供に触れるような気持ちで、 その子供の心を覗き、願いを叶えてあげたいと思うかのように。 宣伝物にせよ、接客のマナーにせよ、相手の心に触れようとしなければ自己満足の置物にすぎません。 自分たちが受け身になってしまえば、綺麗なキャッチコピーも自己陶酔でしかないのです。 あなたが、顧客の心に「触れたい」と思えば、きっと手応えを感じることでしょう。 なぜなら、顧客も満たされたいと感じているのですから。

学ぶということ

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「学ぶ」 その語源は、「真似る」>「まねぶ」からきていると言われています。 人は、生まれた時から何かを学び続けるものです。 その言葉のニュアンスの通り、決して受け身ではなく、自らが何かを得て知識を得たり、あるいはそうしようとする様をそのように呼ぶのだと思います。 そしてそれは、決して学問を修める事に限られるのではなく、人の心の有り様や、生きていく上で欠かせない知恵であったり、あるいは危険から身を守るものであったりします。 「学ぶ」ためには、欠かせないその人の前提条件があります。 その1)心が開かれている事 外界の刺激や情報から身を守り、頑なに心を閉ざしている人は、決して何かを学ぶことはできません。なぜなら、その人は変化することを恐れるからです。 人が心的に防御の姿勢になるということは、「生存欲求」に基づきます。 「生存」とはすなわち生き続けることです。死んでいる人はもちろん生き続けることはできるはずもありません。 今、自分が生存していることを認識しているからこそ、その状態を保ち続けたいと願う気持ちが心を支配し、それを求めている。その状態では変化は「怖い」ものなのです。 その2)報酬を理解していること 「学ぶ」ことをするためには、その「学ぶ」ことによって得られる報酬、それは金銭やご褒美といった単純なものに限られるのではなく、もう少し高い欲求、「承認欲求」や「自己実現欲求」であるような、高次の欲求であればあるほど、その意欲は増すことでしょう。 ある実験で、テストで良い成績をとった子供にそれぞれ、「努力を褒める」「能力を褒める」と言う風に、良い成績の元となる評価に異なるものを下すと言うものがありました。そして、継続して良い成績を収められるのはどちらかを見定めるのです。 結果は、「努力を褒める」ことをした子供たちの方が、その後も良い成績を取ることができました。つまり、その報酬によって何を満たすかが大事なのだと言うことです。 さらにその報酬は、相手にとって「報酬」とわかるものでなければ意味がありません。 子供の頃に算数が苦手な子の多くは、いわゆる「訓練不足」であり、それは、「算数を学習した結果、何が嬉しいのか」が理解できていないのです。 理科や社会は、身近なものから広がり、直接的な興味関心も手伝って楽しく感じられるのです