学ぶということ


「学ぶ」

その語源は、「真似る」>「まねぶ」からきていると言われています。

人は、生まれた時から何かを学び続けるものです。
その言葉のニュアンスの通り、決して受け身ではなく、自らが何かを得て知識を得たり、あるいはそうしようとする様をそのように呼ぶのだと思います。

そしてそれは、決して学問を修める事に限られるのではなく、人の心の有り様や、生きていく上で欠かせない知恵であったり、あるいは危険から身を守るものであったりします。

「学ぶ」ためには、欠かせないその人の前提条件があります。

その1)心が開かれている事

外界の刺激や情報から身を守り、頑なに心を閉ざしている人は、決して何かを学ぶことはできません。なぜなら、その人は変化することを恐れるからです。
人が心的に防御の姿勢になるということは、「生存欲求」に基づきます。
「生存」とはすなわち生き続けることです。死んでいる人はもちろん生き続けることはできるはずもありません。
今、自分が生存していることを認識しているからこそ、その状態を保ち続けたいと願う気持ちが心を支配し、それを求めている。その状態では変化は「怖い」ものなのです。

その2)報酬を理解していること

「学ぶ」ことをするためには、その「学ぶ」ことによって得られる報酬、それは金銭やご褒美といった単純なものに限られるのではなく、もう少し高い欲求、「承認欲求」や「自己実現欲求」であるような、高次の欲求であればあるほど、その意欲は増すことでしょう。
ある実験で、テストで良い成績をとった子供にそれぞれ、「努力を褒める」「能力を褒める」と言う風に、良い成績の元となる評価に異なるものを下すと言うものがありました。そして、継続して良い成績を収められるのはどちらかを見定めるのです。
結果は、「努力を褒める」ことをした子供たちの方が、その後も良い成績を取ることができました。つまり、その報酬によって何を満たすかが大事なのだと言うことです。
さらにその報酬は、相手にとって「報酬」とわかるものでなければ意味がありません。
子供の頃に算数が苦手な子の多くは、いわゆる「訓練不足」であり、それは、「算数を学習した結果、何が嬉しいのか」が理解できていないのです。
理科や社会は、身近なものから広がり、直接的な興味関心も手伝って楽しく感じられるのですが・・・・・

その3)相手に好意を寄せる

どんなに心を開くことができていて、その学びの結果に理解を示せていても、「学び」を行う相手を評価できないのであれば、そこから得られる情報の価値は0(ゼロ)になってしまいます。
誰だって、気に入らない相手からは教えられたくはないし、むしろ、そこから発せられる情報を否定したくなるものです。
「お前に言われたくはないわ」
まさに、そう思った瞬間にその相手から学ぶことはできません。
例えば、好きなアイドルがいった言葉は、ファンの心に必ず届きます。
尊敬している人物の言葉は、耳が痛いものでも聞き入れようとするでしょう。
嫌いな先生の授業は、地味で退屈なものにすぎません。
つまり、相手に「学び」を求めるのであれば、その相手との関係性が大事だと言うことです。
人の心は写し鏡だとも言います。

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このように、人が何かを「学ぶ」ためにはいくつかの前提条件がそろう必要があります。もちろん例外もありますが、おおよそ、この条件が揃わないとうまくいかないことの方が多いことでしょう。
反対にこれらの条件を満たすように心がけるだけで、その成果は飛躍的に向上します。
一度、おためしあれ。



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