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ピンチはチャンス!?

ビジネスにおいては、「ヒト」「モノ」「カネ」を上手く扱えるかどうか大切だと言われます。 それぞれ、人材・商品・資金のことですが、どれもがビジネスの成功にとって必お要不可欠なものであり、どれか一つ欠けてもビジネスは成立しないし、バランスが悪いとビジネスは成長させることは不可能です。 このうち、最近よく言われるのは、「ヒト」の部分における役割と依存度の変化です。 まず、少子化による人材不足です。 確かに、私の周辺でも経営者や企業幹部の方から「採用が上手くいかない」という声をよく聞きます。正社員に限らず、パートタイマーやアルバイトでも、人材募集をしても応募者が集まらないようです。 日本の生産年齢人口は1990年代を最後に減少の一途をたどっていますし、団塊の世代の大量退職によってノウハウを持ってリーダーシップを発揮できる層が離れ、それを就職氷河期によって層が薄くなった30〜40代の中堅層がカバーできず、量だけでなく質の低下もよく言われる問題点です。 次に、情報技術の進化による職能ニーズの変化が挙げられるでしょう。 ロボット技術やAI技術によって、確実にいままであった職種のうち多くの仕事は人間の手を必要としなくなるでしょう。それは単純作業がメカトロニクスによって失われてきたここ数十年の歴史に塗り重ねられるように、ホワイトカラー、頭脳労働と言われる情報収集、分析、判断にとどまることなく、消費活動におけるコミュニケーションの分野においても確実に人の手を介さずにオートメーション化されつつあります。 実は、このことは日本のビジネスの勢力図、ひいては企業活動における価値観を根底からひっくり返す可能性を秘めています。 日本における先の産業革命は、明治維新による文明開化によってもたらされました。それまでの封建社会が崩壊し、身分による制約が解き放たれ、そのことが多くの起業家を生み出し、現在の財閥と呼ばれる企業グループもこの頃の成功を起点として生まれていったのです。 現在は、少なくとも私が生まれた頃にはすでに、大企業信仰が世の中を覆い尽くし、資本のない零細企業はその下請けとして生きるしか道は開かれていませんでした。取引するにも「従業員数」「上場市場のブランド」「大資本とのつながり」がなければ、チャンスさえ与えられず、細々とビジネスを営むことしかできなかっ

失敗から学ぶ

今日、東京都知事選が行われた。 大阪では以前太田房江知事がそうだったように、東京では初の女性知事誕生となったようだ。 そのことに関するニュースを見ていると、気づいたことがあった。 鳥越俊太郎という人が、共闘する野党に担がれて出馬したが、保守分裂がみられ追い風であるはずの中、あっけなく落選してしまった。 選挙戦の中、週刊誌による女性へのセクハラスキャンダル記事などがあったことを、ことさらに敗因としてるようだった。 しかし、あくまでも個人的感想でしかないが、それ以外にもあまりにも不勉強で行き当たりばったりの公約、イデオロギーに凝り固まった組織が背景に見え隠れするなど、他にも無党派層が嫌った要因はいくつもあったように思う。 ビジネスの場面においても、事業がうまく行かなかったりした時はもちろん、 キャンペーンの効果が出なかった 新商品の企画がうまく行かなかった ミスに対する対策が、効果がなかった など、色んな場面で「失敗」からその原因を追求し、2度と過ちを繰り返さないようにしなければいけない。 しかし、人には「認知バイアス」があり、自分の都合のいいように原因を歪曲し、都合のいい解釈をしてしまう傾向にある。 今回の都議選における鳥越候補のように、「週刊誌による選挙妨害のせいで負けた」と言いはってみても他人の目からは裸の王様にしか見えないのである。 大切なのは、事実を元にしっかりと色んな角度から「失敗の原因」をみつめ、目を背けず立ち向かっていく勇気が求められるのだと思う。

プログラマーということ

私はプログラマーです。 プログラミングをしてるのは、やっぱり楽しくて、特にいいアイデアが浮かんで、そいつの実装にチャレンジしてうまく行った時の気持ち良さってのはたまらないですよね。 技術の動向は常に気になります。 特に近年、いろんな技術、手法、フレームワーク、言語の新潮流があり、また流行り廃りがありと、めまぐるしいことこと上ないです。 最近で言えばモバイルアプリの開発。 iosはObjective-CからSwiftへ変わり、AndroidはJava。そして従来のWeb開発のノウハウを生かせるためのハイブリッドアプリが生まれ、WebフロントエンドのFlashの没落によってさらにJavascriptが脚光を浴び、そのためのフレームワークは乱立し、とめまぐるしいことこの上ない。ちなみになんとなくreactに落ち着きそうですがどうなることやら。。。 そういえば、数年前にはRuby on Rails風のMVCアーキテクチャを取り入れたrhodesなんていうモバイルアプリ向けフレームワークもありました。なかなかイケてて、実装もしやすく結構好んで使ってたんですが、モトローラに買収されてからは開発は停滞し、今では見る影もありません。弊社でもいくつかアプリを作ってたんですが全面書き直しするハメになりました。。。 私が大好きなRuby on Railsも10年が経ちもうすぐバージョン5がリリースされようとしています。少なくとも大きなメジャーアップデートはその歴史のまんま弊社では連れ添ってきました。 実は、会社を起業する直前まで、私はプログラミングという仕事から5年ほど遠ざかっていました。 最初のSIerでの最初の3年ほどはバリバリのプログラマだったんですが、それ以降は設計などの上流工程や顧客折衝がメインになり、転職したベンチャーではマネージャーに徹していました。だから前職で知り合った人には私がプログラミングできるなんて想像もできないと思います。 起業して当時まだ生まれたてのRuby on Railsを独学で会得して三ヶ月ほどでEコマースサイトをリリースしたのを皮切りにプログラマーとして再出発しました。(もちろん経営、営業、雑用もしながらですが) 参考になる情報リソースはほとんどなかったので、Webの情報だけでなく、少しでも関係のある書籍は片っ端から

『スキル』ということ

自分で言うのもなんですが、私のスキルは多種多様だと思います。 エンジニアとしては、システムの企画、方式設計、サービス設計、インフラ・基盤設計からUI設計、プログラミング、テスト、HTML・ CSSコーディングを一人で完結できます。 事務屋さんとしては、簿記・経理を始め、法務、人事、調達、マーケティングもこなします。 まぁ社長やってりゃ事務系スキルはあって当然なんですけどね。ですが、経営(社長さんでなくともそれなりの責務がある人)の立場にある人でも帳簿読めない、B/S・P/L・C/Fなにそれ、美味しいの?という人も結構いたりします。ましてや、『帳簿は現金主義で楽チン』なんて未だに信じてる人もいたりします。 とはいうものの、大手にSEとして勤めていた頃はそんなこんなも、な〜んにも知りませんでした。技術者でしかないことに一応の危機感はありましたが、会社では社内政治が優先され、社員は大手企業社員であるだけのプライドで満ち満ちた人ばかりでした。もちろん私もその一人です。 ですが、ある案件の営業でそんなプライドは吹っ飛んでしまいます。 私の提案は顧客のコンセプトからは外れ、聞いたこともない会社に2社競合で完敗したのです。 その時に、初めていかに自分が技術のことだけしか知らないか、マーケティング、いやビジネス、商売の基本を知らないかを思い知らされました。 折しも、世間ではバブルがはじけ、右肩上がりの経済成長神話は崩壊し始めており、事務処理・コスト削減しか知らなかった大型SIerのスキームが通用しなくなり始めていたのでした。 企業は、新しい「売れる仕組み」を作ることを模索し、ITベンチャーが見事にそのニーズに応え勢いを伸ばし始めていた頃でした。 それまで、「与信」という壁で、一定の資本と知名度がなければ特に関西では取引さえままならない状況だったのが、「いいものであれば売れる」という本来当たり前の理屈が実現されつつありました。 「やばい.....」 本当にそう思いました。 もちろん、あのまま社内で出世競争に励み、安定した高給のもと、休日や休暇を満喫するということも可能でした。 でも、私には無理でした。 そして、飛び出してたまたま求人情報サイトで見つけたベンチャー企業に転職。そしたらそこは、後から知ったことですが、例の2社競合で私を完膚

続くということ

ニュースにせよ、広報宣伝にせよ、「話題性」というのはとても重要です。 『冷やし中華、始めました』 と、張り紙を出しても当たり前すぎて誰も気にもとめてくれない。 でも 『冷やし 中華まん 、始めました』 と書いてみれば、「なになに?」と思って興味を持ってくれるかもしれない。 とかく、新しく商売をしようとする時に「目新しい特徴」というのは必要だと言われる。 確かにそうなのだけれども、そればかりを追い求めると、そして、それだけが商売の根幹になってしまうのは違うと思う。 2000年の頃から、殊更ITが新しい分野だと持て囃され、ニュースや経済系メディアで、日本のITベンチャーが取り上げられることも珍しくなくなった。 しかしながら、上場だけが目的で、上場した途端しぼんでしまうITベンチャーも少なくない。 あるいは、たまたま最初のアイデアがヒットし、注目を浴びたけど、実はその後醜聞にまみれて、大手に買収されたり、倒産したりする会社も後を絶たない。 「永続性」とか、英語で言う「sustainable」の方がニュアンスは近いかな。 会社、仕事を考える時にこれを意識しなさいって私は師匠に教わりました。 そして自分で、会社を立ち上げて10年が経ち、それが少しは叶ってるのかなと思います。 華やかな脚光をあびることだけが持て囃されることも多いけれど、地味でも安定してお客さんにサービスを提供できることは絶対におろそかにされてはいけないことでしょう。 これはまた、個人と仕事の関係でもとっても大切なことだと思います。 ことあるごとに私は会社のメンバーにその話をします。 もちろん、仕事と適当に距離を保って、お金を稼ぐ手段と割り切って淡々と仕事ができる人は、それはそれで構いません。 でも少なくとも私は、『楽しい』と思えなければ続かない。 そして、「sustainable」であるためには、健康も家族や周囲の理解も含めて「無理」をしては絶対にいけない。 だからこそ、ラッキーの連続に期待するんではなく、「成功」を「必然」にする工夫をいつも考え、実行していかないといけません。 んなこと言ってても、まだまだ未熟で、考えの及ばないことばかりなんですけどね。 ただ、ありがたいのは

バランスということ

仕事に限らず、年を重ねるにつれ「バランス」というものが求められることは周知の通りです。 仕事とプライベートの「バランス」 自分の想いと、周囲の想いとの「バランス」 やさしさと厳しさの「バランス」 つまり、幼い頃の未熟な自分は、やはり自分のことで精一杯で、そしてまた、失敗も許されたり大目に見てもらったりする余裕もあり、ある程度の「利己」を基本としても成立する生活だったんでしょうね。 つまり、責任が自分自身で完結していたとも言えるのかもしれません。 しかし、社会に出て自分以外の人間との関わりが広がり、自分の行動によって影響を受けてしまう人や事が増えれば増えるほど、それではうまくいかなくなっていきます。 それだけ、高度な結果を求められるとも言えます。 起業して約10年。30代の頃はひたすら自分のスキルと仕事の完成度だけを追い求めても、それなりの結果を出せていたように思います。 しかし、会社を代表する立場になって、その成果に他者からの納得と安定した継続性を必然的に求められるのは当たり前の事で、それまでとの違いに戸惑いながら過ごしてきたように思います。 たとえば、「お客さんに喜んでもらう」ということ。 それまでは、今目の前にある仕事をいかに完璧に仕上げるか?自分の実力を認めてもらえるかということが直接の動機でした。もちろん、口では「お客さんのために」という事は言うのだけれども、すごく単眼的である意味価値観の押し付けと言ってもいいようなものだったと思います。 なぜ、そうだったのか? 自分が人間的に成長したとか、そういうことでもなく、「相手の幸せ」という事に対する想像力が乏しかった、むしろそういうところに起因する事だったように思います。 騙したり、自分だけ得をしてやろうとか、そういう不道徳が原因なのではないからこそ、本人にはやましい気持ちもなく、そしてまた目上の人からのアドバイスもしっかりと腹には落ちてなかったんだと思います。 でも。 でもなんです。 でも、やっぱり正直な気持ちは、100%他人のために生きるような善人でもない。じぶんの理屈ではない感情というか欲望というか、心が「飛び跳ねる」ものがないと、やっぱり自分自身が続かない。 いま、うちの会社は平均年齢がぐっと下がり、20代のメンバーがいろいろと頑張ってくれてい

「聞く」ということ

一般的に、会社の新人教育なり、OJTなりで教えられるのは、 「聞く(尋ねる)側のマナー」 であって、メモとれ、同じこと聞くな、自分でまず調べて、ググれカスなどと言われてまず凹む。 ふと、それってすごく徒弟制度的習慣なんでは?と思いました。 そういうことを気にして、 わからない事を聞かない 誰かが話している内容に興味があっても気軽に話に入れない 聞いて怒られるより、とりあえず片付けて無難に済ませよ とか、その他にもいろいろあるかもしれないけど実際ネガティブな側面の方が大きいと思うのです。 自分が当たり前に知っていると考えていることでも、他人に教えることを通して、自己の知識がより深まり、再学習効果があることは科学的にも証明されています。 ましてや、聞かれる事を拒んだり、聞くためのハードルを上げる先輩や上司に囲まれて萎縮しながら仕事をしていて、成長するとはあまり思えません。 もちろん、自己研鑽やわからない事を調べて理解するという手順を自分なりに確立するということもとても大切なことです。 しかし、今の時代に求められているのは「変革」と「スピード」です。 確かに日本人は、「礼儀」と「型」を大切にします。そういう文化的気質が、今の時代に必要なものを阻害する側面はやはり否定できません。 でも、劇的に変化し続ける技術やビジネス環境に取り囲まれながら、航海を続けるには、組織自体が「聞く」ことのコストを下げ、いや、むしろ「聞く」ことにインセンティブを与えるくらいにならないといけないのではないでしょうか? そういう極めて基本的な行動変化から始めることによって、組織のメンバーそれぞれが成長する。 そういうモデルを作り上げていかないといけないのだと思います。 先日ある外資系の企業で活躍する人に 「本当に最近、仕事ができるために学歴とやらは関係ないと痛感する。コミュニケーション能力という今更ながらの言葉が極めて重要な要素ですよね。」 という話をしていただいた。 それはやはり、「聞いて知る」というごくごく基本的なことに敏感であること、ではないかと思います。 もちろん、自分の行動として心掛けるだけではなく、「聞く」という行動で始まる、組織における「情報と知恵の流通」に各自がどれだけ貢献