問題の本質

松本龍とかいう人間が、宮城県庁でやらかして辞任に追い込まれた問題がまたぞろメディアを賑わせている。

九州人がとか、B型がとかのせいという言葉尻でお怒りになっている九州の方やB型の方もいると聞きます。そして大手のメディアは、いつものように「問題発言が・・・」とか「被災者の気持ちが・・・」と大騒ぎしているようです。

本当にこの国のメディア、しかも放送免許という独占的権益を背景にしているテレビメディアの報道関係者は無知蒙昧なのだろうか?

問題の本質は、「(このことを)書いた社は終わる」という言葉に集約され、その政治権力を自己の保身に使おうとしたことであり、またメディアはそれを黙って受け入れてしまうのだということ。大臣になれば民間の会社などひとひねりにできると考えている何よりの証拠であり、そんな横暴がまかり通るのであればこの国は民主主義ではないことを意味するし、(もちろんそうでないので)法であれなんであれ、超越した力を行使できると勝手に考えてしまう阿呆なのだ。
以前の尖閣諸島問題でも同じようなことが仙谷官房長官というこれまた共産主義かぶれの馬鹿者によってひた隠しにされようとしたことと根本を同じくしているような気がしてならない。
そして、そういう権力の横暴を国民に知らせるために正義を振りかざしているメディアが、権力者から少し脅されればそれにホイホイと手を貸すのだから、我々は真実を知るすべは非常に限られているし、大量にテレビから流されるニュースは全く持って信用できないことになってしまう。

こういうことは、たまたまではないであろうし、簡単にこうやって表面化するということは、隠された同様の事象がいくつも存在するだろうと容易に想像できてしまうのだ。考えただけでそら恐ろしくて身の毛がよだつ。

権力を持つことで、それを振りかざして欲望を満たそうとする鬼畜のような輩がこの国の政権を構成しているのだから本当に泣きたくなるし、政権交代に夢を託した国民への罰だとしたらあまりにも惨い話ではないだろうか。

しかも、この話は管首相がやめるやめないの話ではなく、民主党のそのものが権力欲に溺れ自己の保身に汲々としていることであり、政治の世界からこの茶番劇を支えた与党勢力は次回の選挙では一掃されないと日本の未来は死神に取り付かれたままということになってしまう。

だいだい、与党だから首相を支えないといけないというのもおかしな話だ。

憲法第15条第2項にはっきりとこう書いてある。
「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」

選挙で選ばれた国会議員が、どんな人間であっても首相を支えなければならないというのは憲法違反であり、忠誠を尽くさなければならないのは自分が所属する政党ではなく国民なのです。国民に取ってよくない人間であれば与党であろうと信任せず、花道だの人情だのと下らないことをいっていないでさっさとクビにしてしまわないといけないのです。なぜなら首相は我々が直接選べる訳ではく、国会議員しか選ぶことができないのですから。

いまさら、といわれることかもしれないけど、やっぱり書かずにいられませんでした。

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