ゆるせない話

世の中は夏休み前の三連休。

あちこちにお出かけしている人もいれば、ここぞとばかりに溜まった仕事を片付ける人もいたりして、「休日」から連想するものも人によってまちまちなのでしょうね。

さて、大津の中学生自殺事件で、様々な報道がされ、ネットでも議論がなされているようです。行政や教育機関、加害者本人たちやその親に批判が向いています。事実は何かを確認しようもないけれど、仔細を聞くにつれ怒りに自分が包まれていくのがはっきりと分かります。

まず、間違ってほしくないのは集団で一人を攻撃するのは「いじめ」ではなく卑劣な「犯罪」です。「暴行罪」であり、「傷害罪」であり、ましてや死んでもしゃーないと思いながら攻撃をしたのなら未必の殺意によって「殺人未遂罪」にも該当します。さらに金品を奪えば「強盗傷害罪」であり「恐喝罪」も適用されます。

当然、子供のうちはたとえ仲の良い子たち同士でさえ殴り合いの喧嘩になったりすることはあります。その理由は些細な事かもしれません。でもそれと、自分が守られるように徒党を組んで一人を攻撃するのとは根底から理屈が違い過ぎます。当然ながら自分に被害が及ばないようにニヤついて一緒に攻撃したり、見過ごしていたりしたものも救いようのない卑怯者です。

ましてや、報道されているように担任の教師が、見て見ぬふりするなど言語道断でありどんな言い訳も許されない行為です。
まさかそんな先生はおらんやろう、という人もいるかも知れませんが私が中学の頃にもそういう人はいましたから、いても不思議ではないというのが正直な思いです。私自身、教師を目指していたこともありましたから、そんな人間が教師になり、自己保身に汲々としているのは堪らないのです。

先日、ふと思いつきで金八先生第二シリーズのDVDを衝動買いしたのです。当時も夢中で見ていましたが、今見ると子供の成長を見守る大人として肝に銘じておかないといけないことがとてもたくさん語られていたのでした。

たとえば、いじめがなかったとひたすら隠蔽を図る学校と教育委員会。子供は未熟ですから間違いを犯すこともあります。しかし、罪を犯したものをかばっていてはなんの解決にもなりません。それは教育の配慮といってはばからない。とんでもないことです。
罪を罪と正しく認めることからしか更生はありえないのです。ましてやなかったコトになんてできやしないのに、もみ消してなかったことにしてやろうとする。これはもう人間の所業ではありません。被害者にも加害者の少年にたいしても鬼畜の所業でしかありません。

そして、隠蔽を組織ぐるみで図っているとしたら、そうでなかったとしていじめに気付けなかったとしてもその中学の全教員は即刻辞表を書くべきで、前者であれば今まで首が怖くて声を上げなかったこと、後者であれば自分の無能さによって犯罪が起きてしまったことに対する責任です。さらには「気付かなかった」から「仕方がない(=許されるべき)」とする論理の稚拙さには呆れてものが言えません。そんな稚拙な人間に教育が出来る訳がない、聖職に就く資格などないのです。

少しばかりの救いは、この問題に同じように憤りを感じる人が多くいるのだということを今はネットを通して知ることができます。そしてネットがなかった頃は官・財と癒着した大手マスコミによっては世に知らされることもなく、そういう人達の声は世には出なかったのでしょう。そういう「正しい感覚を持った多くの人」たちによって私自身も救われているような気がします。

だからこそ、自分も何もできないかもしれないけれど、少なくとも正直に声に出していこうと思います。

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