素直な気持ち リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 3月 18, 2011 被災地の惨状をいい事に、空き巣を働く輩募金詐欺を企む不届き者無責任なデマを流す馬鹿お仕着せの善意を疑おうともしないナルシスト自分だけはとせっせと買いだめに走りパニックを助長するたわけど・い・つ・も・こ・い・つ・も……………………………大阪名物ぱちぱちパンチくらわすぞ!どたまカチ割って脳みそちゅ〜ちゅ〜吸うたろか!私は怒ってます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
やり遂げるということ 12月 05, 2021 いよいよ本格的に冬がやってきたようです。 冬といえば、クリスマス、そして大晦日からのハッピーニューイヤー。 そして、世の受験生はいよいよ受験本番を迎えます。 我々も長らく大学受験をサポートとするサイトを構築・運営してきたこともあって無関心ではいられません。 昔は、受験戦争と呼ばれ、とにかく悲惨の一言で語られた大学受験も、今の自分が振り返ってみると社会に出る一歩手前で、目標を立て、戦略を考え、戦術を実行し、成功を勝ち取るというプロセスを体験したことは本当に貴重な体験だったなぁと思います。 社会に出れば、学生時代のように誰も手取り足取り、物事を体系立って教えてくれたりはしません。就活・婚活しかり、目的を達成し幸せになるためには、上に述べた実践を主体的に行う必要があるのです。 しかしながら、多くの人、多くの場面において、何かをやり遂げられれずに失敗し挫折という結果に終わってしまいます。 プログラマを目指すと言って結局なれなかった人 No. 1のセールスになると言って、全く売上を作れなかった人 みんなに必要とされる人材になりたいといって、みんなの文句を言って辞めていく人 絶対痩せると言いながら、毎日の間食をやめられなかった人 何がいけなかったのでしょう? やり遂げること以外、罪悪だと言っているのではありません。でも自分が何かをやり遂げるための「勝ちパターン」が出来てない人は、やはり場所・場面を変えても同じことを繰り返すでしょう。そうならないためにも、失敗の分析は必要なのではないでしょうか? 実はほとんどの失敗の原因は、不真面目やサボり、能力不足ではありません。 多くの場合、本気で「やり遂げる、やり遂げられる」と思っていなかったのです。 出来たらいいな程度では、どんな素晴らしい戦略も戦術も計画も支援も全て意味がないのです。 だから、うまくいきそうにない時、結果が出ない時は、まず自分が本気でやり遂げられると自分を信じていたのかを振り返ってみてください。 本気で自分を信じることができたとしても、多くの人はその次の罠にハマります。 多くの人は、真面目で卑怯が嫌いで誠実です。 そういう人ほど、頑張ってしまうのです。頑張っても頑張っても結果が出ません。 でも、ちょっと待ってください。あなたは「何に」頑張っているのですか? 何かをやり遂げるために、必要な「何か」ですか? 努力しない人は、... Read more »
失敗から学ぶ 7月 31, 2016 今日、東京都知事選が行われた。 大阪では以前太田房江知事がそうだったように、東京では初の女性知事誕生となったようだ。 そのことに関するニュースを見ていると、気づいたことがあった。 鳥越俊太郎という人が、共闘する野党に担がれて出馬したが、保守分裂がみられ追い風であるはずの中、あっけなく落選してしまった。 選挙戦の中、週刊誌による女性へのセクハラスキャンダル記事などがあったことを、ことさらに敗因としてるようだった。 しかし、あくまでも個人的感想でしかないが、それ以外にもあまりにも不勉強で行き当たりばったりの公約、イデオロギーに凝り固まった組織が背景に見え隠れするなど、他にも無党派層が嫌った要因はいくつもあったように思う。 ビジネスの場面においても、事業がうまく行かなかったりした時はもちろん、 キャンペーンの効果が出なかった 新商品の企画がうまく行かなかった ミスに対する対策が、効果がなかった など、色んな場面で「失敗」からその原因を追求し、2度と過ちを繰り返さないようにしなければいけない。 しかし、人には「認知バイアス」があり、自分の都合のいいように原因を歪曲し、都合のいい解釈をしてしまう傾向にある。 今回の都議選における鳥越候補のように、「週刊誌による選挙妨害のせいで負けた」と言いはってみても他人の目からは裸の王様にしか見えないのである。 大切なのは、事実を元にしっかりと色んな角度から「失敗の原因」をみつめ、目を背けず立ち向かっていく勇気が求められるのだと思う。 Read more »
信じると言うこと 5月 20, 2022 『信じる』 それは、容易いことではないですよね。ましてや、自分のコンディションや置かれている状況によっては「んな、あほな」で終わってしまうこともありますね。そこにはリスクも当然ながら伴うわけですから。 信じるに至れない自分の問題なのか、そうさせてくれない相手の問題なのか。ある意味、『賭け』なのではないかとも思ったりもします。 でも、私の場合は『先行投資』のような感覚が近いかもしれません。 自分が会社を立ち上げた時に、『信用』というものが如何に外形的に量られるかを知った時に、それでも信じて仕事を任せてくれた人がどれだけありがたかったことか。そして、その期待を裏切りたくない、信じてよかったと思ってもらいたい、と深く心に誓ったあの感覚は決して間違いではなかったと思います。 だから、まず信じてみよう、例えば、未熟な社員がいても私が信じることで、いつか花を咲かせることができるなら、そこから生まれる成長の輪を広げて、次の人に伝えていけると。 例えば、10のうちの1つしか期待できなくても自分が見えていないだけかもしれないから。 信用することのリスクよりも、信用しなかったことで触れられなかったモノへの後悔の方が嫌だから。 あ、ちなみにうちの社員はみんな優秀ですからね😁 信じた先のいろんな出会いを楽しみにしてるだけです。ビジネスのチャンスや発見、驚かせてくれる人との出会い、次世代の子どもたちへの想い、そして、まだ知らない自分の可能性にもね。 Read more »