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これからの10年

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今年も早いもので、街行く人の服装は冬の装いですね。 コート着てたり、ブーツ履いてたり。 秋も短くてあっという間なんやなぁと思ったりします。 今年の前半は、令和が始まったり、消費税増税の準備に追われたり なにかと気ぜわしい雰囲気だったように思います。 そして、来年は2020年。 21世紀も20年が過ぎ、来年からまた2020年代と言われる新しい10年のスタートです。 平成、そして2000年から2020年までの20年は私にとっても社会でいろんな経験をする 大切な時期だったと思います。 私たちの業界でも2000年問題に端を発したシステム刷新、そしてネットビジネスの創造と 常に新しいもの、次に来るものを探す流れが続いてきました。 さんざん言われてきたことですが、ネットビジネスは旧来のビジネスと社会構造を変革し ビジネスモデルだけにとどまらず、近年のワークライフバランスや働き方改革のような 企業と人との関わり合いの姿まで変えつつあります。 そして、次の10年。 どんな時代になるのでしょうね。 イノベーションのジレンマの言葉のように、ネットビジネスですら新興ではなく旧来からある ビジネスになりつつあります。 ビジネスの真髄は変わらず、トレンドは輪廻します。それは宗教における神様と人間のようで もありますね。 ネット一辺倒ではなく、ネットとリアルの融合、それは古くは「クリックアンドモルタル」と いわれ、最近では「オムニチャネル」と言われますが、いつの時代でも、どんなトレンドの中でも 購買行動において「人とのコミュニケーション」が果たす役割の大きさは変わりはしません。 人がマーケットに求めるものは「何か新しいもの」。 もちろんそれだけではありませんが、100均の便利グッズを見つけたり、「なにそれ!?」というテレビの情報番組で紹介された商品は相変わらずヒットを飛ばし続けます。 ただし、そこで勝ち残っていけるのは「ここ買えば大丈夫」という安心の担保です。 ここからの10年は、「安心と保証」がネットビジネスのキーワードになると言われています。 今はネットという購買チャネルによって、いろんな場所のいろんなものが手に入ります。 だからこそ、その数が増えれば増えるほど、その情報を整理できなくなってくるのです。 ...

触れるということ

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今や「コンテンツの時代」と言われて久しい。 小売やサービス業はもとより、メーカーであれ、どんな業種であれば、自らの付加価値を「コンテンツ」として消費者、買い手に届けることができなければ存在し続けることはできないのは、自明の理です。 商品や企業の特徴、長所、具体的なイメージは、言葉や資料、画像や動画に変換され、相手のもとに届けられます。 それは、具体的なサービスのものにとどまらず、企業の社会に対する姿勢、働く人たちの顔に診て取れるその組織の未来ですらあったりします。 それらを、伝えたい相手に合わせて、こちらからそっと「触れ」にいくような、 そう、まさに大切な子供に触れるような気持ちで、 その子供の心を覗き、願いを叶えてあげたいと思うかのように。 宣伝物にせよ、接客のマナーにせよ、相手の心に触れようとしなければ自己満足の置物にすぎません。 自分たちが受け身になってしまえば、綺麗なキャッチコピーも自己陶酔でしかないのです。 あなたが、顧客の心に「触れたい」と思えば、きっと手応えを感じることでしょう。 なぜなら、顧客も満たされたいと感じているのですから。

学ぶということ

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「学ぶ」 その語源は、「真似る」>「まねぶ」からきていると言われています。 人は、生まれた時から何かを学び続けるものです。 その言葉のニュアンスの通り、決して受け身ではなく、自らが何かを得て知識を得たり、あるいはそうしようとする様をそのように呼ぶのだと思います。 そしてそれは、決して学問を修める事に限られるのではなく、人の心の有り様や、生きていく上で欠かせない知恵であったり、あるいは危険から身を守るものであったりします。 「学ぶ」ためには、欠かせないその人の前提条件があります。 その1)心が開かれている事 外界の刺激や情報から身を守り、頑なに心を閉ざしている人は、決して何かを学ぶことはできません。なぜなら、その人は変化することを恐れるからです。 人が心的に防御の姿勢になるということは、「生存欲求」に基づきます。 「生存」とはすなわち生き続けることです。死んでいる人はもちろん生き続けることはできるはずもありません。 今、自分が生存していることを認識しているからこそ、その状態を保ち続けたいと願う気持ちが心を支配し、それを求めている。その状態では変化は「怖い」ものなのです。 その2)報酬を理解していること 「学ぶ」ことをするためには、その「学ぶ」ことによって得られる報酬、それは金銭やご褒美といった単純なものに限られるのではなく、もう少し高い欲求、「承認欲求」や「自己実現欲求」であるような、高次の欲求であればあるほど、その意欲は増すことでしょう。 ある実験で、テストで良い成績をとった子供にそれぞれ、「努力を褒める」「能力を褒める」と言う風に、良い成績の元となる評価に異なるものを下すと言うものがありました。そして、継続して良い成績を収められるのはどちらかを見定めるのです。 結果は、「努力を褒める」ことをした子供たちの方が、その後も良い成績を取ることができました。つまり、その報酬によって何を満たすかが大事なのだと言うことです。 さらにその報酬は、相手にとって「報酬」とわかるものでなければ意味がありません。 子供の頃に算数が苦手な子の多くは、いわゆる「訓練不足」であり、それは、「算数を学習した結果、何が嬉しいのか」が理解できていないのです。 理科や社会は、身近なものから広がり、直接的な興味関心も手伝って楽しく感じられるのです...

出会いということ

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人生50年、働き出して早25年。 その半分を社会に出て過ごしてる事になります。 多くの人たちと出会い、助けられ、教えられしてきたような気がします。 その中でも縁なのか、不思議と続く関係もあったり、 もう会えなくなって久しい人もいたりします。 昔、師匠に 「仕事をするなら、お客さんから会社をやめても『個人』として声をかけられる人間になれ」 と言われました。 そのお陰なのか、気軽に声をかけていただくことが何度かあり、本当にありがたいなぁと 感謝しても仕切れないくらい、そんな時は喜んでしまいます。 つい最近も、ふと昔ご一緒させていただいた、尊敬する人からお声がけをいただくことがあって、随分と間が空いてるけど、その時一緒に仕事をさせていただいた感触がふと蘇ったりして、なんとも嬉しい気分になりました。 最初の大手の会社で味わった、「会社のブランドがあるからあってもらえる」事に気づいたショック。たぶん、あれは自分自身のキャリアの中で転換期だったような気がします。 そして、今。 思えば昨日まで、見も知りもしなかった人と何かを一緒に成し遂げようとしている。 だから、明日もきっと、今まで知らなかった何かが待ってるかもしれない。 今はまだ知らないけど、ワクワクさせてくれるものが待っているに違いない。 そう思いを寄せるだけで、明日が楽しくなってきませんか?

勇気ということ

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梅雨入り、したんですかね? いつになく涼しくて過ごしやすいなぁと感じています。 もうすぐまた、夏がやってきます。 夏の風物詩といえば、花火。 眺めてるだけで、わくわくしたり、美しさに心打たれたりしますね。 仕事で出かけた先で、思いがけず夜空に上がる花火を見たりすると ちょっと元気が出たりして。 日々何気なく過ごしていたくても、ふとしたきっかけで凹んだり、 思い通りにいかなかったり、不安な気持ちに負けそうになったりとか。 そんなときにそんな場面に出くわすと、ちょっと前に向いて進む勇気をもらえるような気がします。 仕事だけじゃなく、生活の中でも、そんな「勇気」がほんの少しでも持てたら 乗り越えられることがある。 うまくいかない、もやもやを晴らしてくれるのは、ちょっとした「勇気」なのかもしれません。 確かに、手に取ったはずの果実を誰だって手放したくないし、 じっと嵐が過ぎるのを待ってれば、そのうち晴れるかもしれない。 でも私は、自分で道を開きたいし、「勇気をだせなかった」と後悔したくはない。 新しい場所に飛び込む勇気 自分を知ってくれている仲間の中から飛び出す勇気 失敗するかもしれない心に打ち勝つ勇気 内なる自分をさらけ出し、がっかりされてしまうかもしれない怖さを乗り越える勇気 そんなちょっとした勇気が持てたら、気持ちいい風がきっと吹く。 明るい、まぶしいばかりの光がきっと待っている。 そう思って、明日も進んでいきたいです。 そう思える仲間たちと、ね。

怠けるということ

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プログラマに必要な素養の一つとして、よく言われるのが 「怠惰」 であることが上げられます。 かの有名なクラウゼビッツの戦争論においても、有能な指揮官の類型について以下のように述べられています。 有能な怠け者は指揮官に 有能な働き者は参謀に 無能な怠け者は下士官に 無能な働き者は処刑 よく、プログラマは作業者であったり、職人であったりすると思われがちですが、そうではありません。 特に近頃は、どう書くかと言うテクニックよりも、そもそも「何を書くか」そして「何を書かないか」の最初の戦略がモノを言います。 「車輪の再発明」といわれるように、なんでも頑張って作ればいいと言うものではありませんし、職人の腕自慢ほど自己満足で他人にとってどうでもいいものはありません。 芸術や科学研究ならいざしらず、限られた時間と資源で最大の効果を狙うビジネスのステージにおいては、そもそも目的地に向かうときのプランニング能力の違いが圧倒的な結果の差をもたらします。 その時に、働き者であればあるほど、一生懸命さや、どれだけ動き回るかに価値を置いてしまうのに対して、有能な怠け者は、「横着」をして「最大の効果」と求めます。 いま、当たり前にやってる作業を簡略化できないものか? ん?そもそもこの作業は必要? やらなくて済む方法は・・・・!! 例えば、昨年注目を集めた真田幸村をはじめとした信州真田氏。 栄達の突破口を開いたのは、幸村のおじいさんである真田幸隆という人物でした。 彼はごく小さな山奥の村の、小豪族でしかありませんでした。 しかも、隣接する大きな豪族である村上氏に領地を奪われ流浪の身になってしまいます。 そして、しばらくのち、風林火山で有名な武田信玄が甲斐国(現在の山梨県)から信州(現在の長野県)に勢力を拡大していきました。 次々と信州の小豪族を従えその勢いはとどまるところを知りません。 そして、いよいよ村上氏が立てこもる砥石城と言う城を攻め立てます。 それまで、ほぼ無敵だった武田軍は村上氏相手に大苦戦し、有力な古参の重臣たちまでも戦死するほどの大きな痛手を負う始末。 それでも武田軍は攻める手を緩めることをせず、被害は広がる一方で 家臣たちがあの手この手を使って奮戦しますが、堅固な砥石城を攻め落とすことはで...

オープンにすること

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早いもので、な〜んにも構えもせずに新卒でIT業界に飛び込んで○○年になろうとしています。 社会人になる覚悟すらまともにできてなかったし、今のように企業研究なんて、自宅に送られてくるDMながめるくらいが関の山。 さらに、同期が会社訪問だ〜、面接だ〜と走り回ってる頃には、高校の教育実習に行ってましたしね。 時は流れて、平成も終わろうとして、私たちの年代は3年号またぎを達成予定です。これって結構すごいこと?あ、でも大正生まれなら4年号またぎですね。 と、世の中も昔とはず〜いぶん変わって、ビジネスのスタイル、ITを取り巻く環境も、インターネットの出現によって大変革を遂げました。 「情報革命」と言われ、18世紀の「産業革命」に匹敵するくらいの社会構造の変化をもたらしたとも言われる、その真っ只中に私たちはいるわけですね。 とりわけ、情報のオープン化は顕著な変化です。 情報伝達速度が桁違いに速くなり、それとともに単位時間当たりに私たちが処理しなければいけない情報量もますます増えていくでしょう。さらにこれからは仮想現実が身近なものになるでしょうし、まさに空間そのものが、我々の想像を超えた、別次元のものになっていくに違いないでしょう。 おっと、話が大きくなりすぎました。。。。。 もう少し、身近な視点にズームしてみましょう。 企業においては、いま、情報ガバナンススキルがマネジメント層に求められています。 情報のオープン化にともなって、これまでなかった脅威やリスクに企業が晒されるようになりました。ネットでの炎上、個人情報の流出、ハッキング、コンピュータウィルスなどなど。さらには、個々の企業の中に閉じ込められていた過酷な労働環境が次第に公開され、「ブラック企業」なる言葉が日常の会話で交わされるようにもなりました。 経営リソースとしての「情報」が曖昧なものでなく、独立した資源として認識されたのです。 独善的な経営層にとっては脅威ですが、多くの企業は、そのガバナンススキルを重要視し、情報のオープン化に耐えうる資質を自分たちの中に求め、鍛え上げ、さらにそれを糧として、激変する市場での戦闘力に昇華させています。 私たちのビジネスの本質は、まさにそういった企業の良きアドバイザーとし...